ISA プログラム体験記

海外派遣や、国内で学生会議に参加していただいた方々の生の声が満載です

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イスラエルIW

      イスラエル

大阪支部4回生 内海 貴啓

 
 イスラエルと聞いて何を思い浮かべるだろうか?

紛争、それともテロ?ほとんど毎日メディアで取り立たされているイスラエルのイメージは「争いが絶えない国」。でも、それしか思い浮かばない。メディアを通さない生のイスラエルが知りたくて旅することにした。
 
 イスラエルは海に面しているが、気候が温暖で砂漠もある乾いた土地である。人は基本的に明るく、優しく、そして適当なまさに中東のラテン人である。町には石造りの建物が並んでいて、雰囲気もどことなくヨーロッパに似ている。そんな不思議な中東の国である。

まったくイメージと違った。

 しかしヨーロッパと違うところは、一つの国にユダヤ教、キリスト教、イスラム教が混在していているが、特にイスラム教と仲が悪く、ユダヤ教中心で物事が進められるところである。

僕は旅の道中、エルサレムでそこの警護をしていたイスラエル軍の兵士と出会った。その子たちがあまりに若く見えたので歳を聴いてみた。

「I’m 20 years old」

正直びっくりした。よく周りを見渡してみるとそのあたりにいた兵士は男も女も僕より若く見えた。

イスラエルでは高校を卒業したら、男で三年、女で1年10ヶ月の兵役があることを初めて知った。まだ育ち盛りで感受性豊かな時期。そんな時期にまさに彼らは大きな銃を背負い必死に自分の国を守っている。

僕の質問に答えてくれた二人の少年兵は、快く写真に写ってくれることに応じてくれたが、何だか彼らの目が悲しそうに見えた。自分のまわりでいつテロが起こるか恐怖感を抱いている。

「自分たちが守らないと誰がまもってくれるんだ!」

そうみんな思っている。そうした厳しい現実を高校出たての若者が背負わなくてはならないことに僕は、どうにも消化できないようなやるせなさを感じた。


イスラエルは、WWⅡ時にイギリスによって無理やり作られた。そのせいで現在もまだ、イスラエルはアラブ諸国とのわだかまりを解決できず、つい最近までレバノンに侵攻していた。

僕は今回のイスラエルの行動を正しいとは思っていない。自国民と引き換えに他国民を殺傷していいわけはない。しかし、彼らは心から自国の平穏を願っているだけなのである。この対立には正義も悪もない。だからこそ早くこの不器用すぎる両陣営を誰かがとめなければならない。

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Exchange Programe

『モンゴルExに関わったすべての人たちへ』            
岡山支部三回生 上山 達稔

モンゴルでの思い出は語りつくせない程あるけど、その中でも草原での生活は忘れられない思い出だ。

僕にとって、この草原の生活は本当に心安らぐものだった。ここでは全てを忘れ、起きたいときに起きて、ご飯以外のときはだいたい遊んでいた。さらに、満天の星空、どこまでも続く草原、かわいい子どもたち、そして楽しい仲間。そのすべてが僕を癒してくれた。

お風呂にはなかなか入れないし、外で遊ぶから、確かに体は汚くなっていったかもしれない。でもそれと反比例するように心がきれいになっていっていた気がする。

それは、僕だけじゃなく日本人メンバー全員に言えることだと思う。笑顔に笑顔で応える。そんなことが自然にできることってすごいことだし、そんなメンバーに囲まれて僕は幸せだった。


僕にはこの旅の中で、忘れられない言葉がいくつかある。


1つ目は、「自分がここにいることは事実で、それをありのままに感じられたらそれでいいんじゃないかな。」っていうベギーの言葉だった。いろいろ考えがちな僕を救ってくれた一言だった。いらないことを考える頭より、今をありのままに感じることのできる心の方が大切なんだということを知った。
 

2つ目は、「出会いは別れの始まり」。詩人、てっぺいの言葉。深い言葉だと思う。てっぺいはどういう意味で言ったのか分からないけど、モンゴルメンバーたちとの出会いのように別れが分かっている出会いなら当てはまる気がする。別れることが分かっているからこそ、人はその人との時間を大切にするのかも。深い言葉です。でも、ぼくは希望も込めて、「出会いは永遠の始まり」って思いたい。
 

 モンゴルに行くとほんとに恥ずかしい言葉がどんどん言えたりする。そして、それに共感して分かり合えるのもモンゴルの魅力のひとつだと僕は思う。

モンゴルの生活は僕に忘れていたいろんなことを思い出させてくれた。それは、人を思いやる気持ちだったり、心から物事を楽しむことだったり。人は言葉で分かり合うんじゃなくて、心で分かり合うんだってこと。もちろん日本でもそういう気持ちはあった。けど、モンゴルに行くとそういう人のあったかい気持ちがもっともっと大きくなって、ほんとにそういった気持ちの大切さっていうのを再確認させてくれる。それは、モンゴルの人々のあたたかさやモンゴルの空気、この旅を共にしたジャムハ、ホラン、ナラ、ベギー、てっぺい、かい、りみ、ジャギーさん、トゥルーさん、アーバー、子どもたち、この旅に関わってくれた人たちみんなのおかげだと思う。

みんな、ありがとう!モンゴル、ありがとう!!


New Face Meeting

10月22・23日、ISAメンバーが明石に集まった。

年に2回行われる全国合宿がおこなわれた。

スケジュールは、
一日目は自己紹介ゲーム、ディスカッション、そしてIW・Exなどの各プログラムの報告。その後、座談会に入り、夜更けまで語り合った。

二日目は、みんなが楽しめるようなゲームをし、たいへん盛り上がった。アンケートを書いていただき、午前中で閉会。

次に全国からISAメンバーが勢ぞろいするのは、来年の春。閉会後は皆で写真をとりあい、別れを惜しんだ。

全員集合写真は、ISA公式HPのひよこをクリックしてみてください。

Exchange Programe 

目に見える格差社会
大阪支部三回生 亀卦川 理江

日本は今、ジニ係数が0.4に迫り、数字の上でも経済格差が深刻になっている。「格差社会」ということばがメディアで広く飛び交う時世になった。

格差問題が取り沙汰される日本ではあるが、私はインドネシアで「格差」というものを、はっきりと見える形で認識することができた。

メンバーとタクシーに乗ったとき、私は半分寝てたので、みんなはネシア語で会話していた。ところが、メーターが止まっていることに気づくとみんなで料金をちょろまかす(笑)計画を立てだした。なぜ私がこのことに気づいたかというと、メンバーが急に英語を使い出したからだ。タクシー運転手は英語ができないという前提のもとの会話だったのだろう。けれども、タクシー運転手の立場で言えば、自分の後ろでわからないをいいことに堂々と悪巧みしているに過ぎない。

こんなこともあった。バリでブサキ寺院に行ったときのこと。寺院までの長い坂を登るとき、子どもがしきりと花を渡して何かを語りかける。お金をせがんでいるのはなんとなくわかったが、メンバーがなんと言っているか教えてくれた。

「学校に行っていい勉強がしたい。だからお金をちょうだい」。

子供が要求する金額はほんの10円にも満たない程度だ。その10円のために、子どもはいつまでも付いてきた。
 
 私(日本人)にとって10円はわずかな額でしかない。ISAFISメンバーにとってもそうだ。しかし、彼らは10円のために必死になる。この子どもたちは頭から「依存」することで生計を立てようとしている。私にとっての「たかが10円」を渡すことは簡単。しかし、それで味をしめてしまったらこの子たちは慈悲を求める生活から抜け出すことはできないだろう。自分たちで働く力をつける方法を教えてあげることが、この子たちにしてあげられることで、もっとも難しいことだと思った。

 この旅で、金持ちと貧乏、与える人と与えられる人、上層と下層、その極端な二分化を見た。裕福な層は、貧困層を低賃金で働かせる。低賃金でも、貧困層の生活は裕福層の存在がなければ成り立たない。そしてその額は、貧困層には少ない額ではないのかもしれない。

インドネシアは地方と都市の格差がはっきりとしているというだけではなく、ジャカルタの中に層が存在する。地方から出稼ぎに来る人でジャカルタの人口は増加し、1970年代の時点でジャカルタ首都特別区政府はすでに「都市閉鎖宣言」を出し、流入人口の抑制をはかったものの、人口増加は留まらなかった。

このことだけが、スラム街が生まれる原因ではないが、経済格差が生まれだした発端である。まるで二つの民族が暮らしているような錯覚に陥るくらい財産によって差のある暮らし。この問題は大きすぎて、今の私にはまず何をどうすればいいのかわからない。だけど、はっきりと見える「不平等」をほっておくわけにはいかない。

まず、私にできることは知識を増やすことだと思う。そして、自分がいかにぬるま湯に浸かっているかを踏まえ、常に自分以外の誰かの立場からものをみることが大切だ。

インドネシアに滞在し、裕福層と貧困層の共存、相互作用を体当たりにして、平等世界なんて無理なのかもしれないと思うこともあった。だけど、経済的理由で将来の選択肢が狭い世界でやりたいことがやれない人がいる現状は打破しなければならない。お金は必要だ。だけど、お金が全てではない。選択の幅はお金ではなくて努力で広げられるものでなくてはならないと思う。政府は私腹を肥やすためにあるのではなく、その最善の使い道を適切に導き出して欲しい。

Exchange Programe

インドネシアの教育事情 神戸支部一回生 櫻木 諒太

今回のプログラムの中で、一番印象に残っているのはスラム街にいったことだ。そこは想像していた「悪臭があって、殺伐とした町」とは違っていて、道路は舗装されてなかったし、建物もお世辞にもきれいなものとはいえなかったが、明るく人の温かさを感じる場所であった。きっけさんがフィリピンのとは違うともいっていたし、スラム街といってもやっぱり場所や地域によるものだと感じた。そして、自分が思っているイメージって所詮イメージでしかないと感じた。

スラム街に行ったときに、プログラムの一環でSanggar Ciiiwungという施設にいった。ここでは、スラム街の子どもたちが勉強して、独立できるように建てられたもので、学校の授業から楽器の演奏や手芸など実際的な技術を教えている。そして僕たちは、ここで「なぜ教育は重要なのか」ということと、「自国の教育の位置づけ」について話した。僕が、話をし終わって、一人の女の子から「高校に行きたくても、お金がなくていけない人はどうしているんですか?」と言われて、なにか感じるものがあった。それは、少なくとも僕の狭い周囲の環境のなかには、経済的に厳しい子などはいたけど、行けない人はいなかった。(大学には、経済的に行けない子はいたけど)だからそんなことを考えたこともなかった。だが、ここではそういう人がいるから、このような質問がでてくるのだと思った。それを示すデータがある。インドネシアの教育制度とともに紹介したいと思う。


 インドネシアは、日本と同じく6・3・3・4制であり、義務教育もおなじく小学校と中学校の9年間である。さらにイスラム教徒がたくさんいる国なので宗教省所管の学校もある。小学校の就業率は95%と高い割合にあるが、中学校にもなると51%と半分近くに落ち込む。それは、家族の仕事を手伝ったり、物乞いや、自分で働くからだ。もちろん、経済的に厳しくなって行けなくなるというのもあるだろう。地方になると就業率はもっと落ち込むといわれている。高校に行きたいけど、行けないという現象は、悲しい話だがよくあることだと思う。だからこそ、あの質問がでてきたのだと思う。
 
 インドネシアの教育事情について調べていると、

「公立学校の集金は、学校ごとの裁量でその金額を定めることができるようになっているようで、極端に高い学校と安い学校があるので、公立といっても安上がりとは限らない。むしろ、あまり有名ではない私学の方が安い場合もあり、支払いが困難な親たちは子供を公立校から私学へ転校させるケースもある」

「学費を払えないことを苦にした子供たちが自殺をはかる」

といったニュースを発見した。このことが本当かどうかはわからないが、経済的弱者が教育機会を得ることは非常に困難になっていることは確かだと思う。また、人が多い、教材が足りない、電気や机いすも足りないから、朝は一年生、昼からは2年生と3年生が登校・・といったように校舎を有効に使っている。一方でお金持ちの子たちは、車で私学へ通学するというから・・・・。なんともいえない気持ちになる。

どうにか教育の機会を与えるために打つ手はないのか?

と思うが、政府が義務教育を完全無料化にしないかぎり厳しい気もする。奨学制度もあるが、一部の人しかうけることもできないらしく、大学までいこうと思うと、よっぽど優秀ではない限り経済力が大きく響いてくる。それも、お金持ちの子たちの中には幼少のころから英才教育を受けているから奨学金を得ることは現実的には難しいのかもしれない。また、インドネシアは学歴社会でもあるので、いい職業につきたいならそれなりのキャリアが必要となってくる。だからこそ、貧しさから抜け出せないというのもあるのかもしれない。

 さて、話は変わるが、なぜこのテーマでエッセイを書こうとしたかを述べたいと思う。

 それはいまさっきの質問に虚をつかれたっていうのもあるが、行った施設の子たちの目がすごく輝いていて、自分の夢を実現するために勉強したい、もっと勉強したいと話していたからだ。

 こんなに勉強をしたくてもできない子たちがいるのに(ここのこどもたちは施設ができたおかげである程度はできるけど)学ぼうと思えばすきなだけ学べるという恵まれた環境を生かしてない自分に気づいたのと、なにか力になれることはないのかと考えたからだ。

 だから、まずネシアの教育の現状について調べようと思いこのエッセイを書いた。現状を知ることでなにか見えることがあると思って。しかし、インドネシアの教育事情について知れば知るほど、どうしたらよいかと思う。

 さらにこの問題をややこしくしているのが、インドネシアが階級社会であるということだ。こういう貧しくて、学びたくても学べない人がいるのに、一方で・・・。階級社会の感覚がわからない僕には、こういう状況に対してなんともいえない感情を抱いてしまう。また、今回のプログラムを企画して運営してくれたISAFISのメンバーたちの多くは、中流階級以上の子で・・・どこか遠慮して突っ込んだ質問もできなかったし、その教育環境の差というものを見ながら育っていて・・・。

 ほかの国ではインドネシアより劣悪な教育環境のところもあるとおもうと途方にくれてしまう。自分になにかできるわけではないけど、こういうことを考えると心がいたむ。ただ今、僕が分かっているのは、大きなことはできないけど、募金や文房具を提供する、自分の恵まれた環境を十分に生かすことと、インドネシアのことについてもっと知ってもらえることが、力になれることなんじゃないかなと思う。そしてそれで、一人でも多くの人が教育を受けられたらなと思う。

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