ISA プログラム体験記

海外派遣や、国内で学生会議に参加していただいた方々の生の声が満載です

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Exchange Programe 

目に見える格差社会
大阪支部三回生 亀卦川 理江

日本は今、ジニ係数が0.4に迫り、数字の上でも経済格差が深刻になっている。「格差社会」ということばがメディアで広く飛び交う時世になった。

格差問題が取り沙汰される日本ではあるが、私はインドネシアで「格差」というものを、はっきりと見える形で認識することができた。

メンバーとタクシーに乗ったとき、私は半分寝てたので、みんなはネシア語で会話していた。ところが、メーターが止まっていることに気づくとみんなで料金をちょろまかす(笑)計画を立てだした。なぜ私がこのことに気づいたかというと、メンバーが急に英語を使い出したからだ。タクシー運転手は英語ができないという前提のもとの会話だったのだろう。けれども、タクシー運転手の立場で言えば、自分の後ろでわからないをいいことに堂々と悪巧みしているに過ぎない。

こんなこともあった。バリでブサキ寺院に行ったときのこと。寺院までの長い坂を登るとき、子どもがしきりと花を渡して何かを語りかける。お金をせがんでいるのはなんとなくわかったが、メンバーがなんと言っているか教えてくれた。

「学校に行っていい勉強がしたい。だからお金をちょうだい」。

子供が要求する金額はほんの10円にも満たない程度だ。その10円のために、子どもはいつまでも付いてきた。
 
 私(日本人)にとって10円はわずかな額でしかない。ISAFISメンバーにとってもそうだ。しかし、彼らは10円のために必死になる。この子どもたちは頭から「依存」することで生計を立てようとしている。私にとっての「たかが10円」を渡すことは簡単。しかし、それで味をしめてしまったらこの子たちは慈悲を求める生活から抜け出すことはできないだろう。自分たちで働く力をつける方法を教えてあげることが、この子たちにしてあげられることで、もっとも難しいことだと思った。

 この旅で、金持ちと貧乏、与える人と与えられる人、上層と下層、その極端な二分化を見た。裕福な層は、貧困層を低賃金で働かせる。低賃金でも、貧困層の生活は裕福層の存在がなければ成り立たない。そしてその額は、貧困層には少ない額ではないのかもしれない。

インドネシアは地方と都市の格差がはっきりとしているというだけではなく、ジャカルタの中に層が存在する。地方から出稼ぎに来る人でジャカルタの人口は増加し、1970年代の時点でジャカルタ首都特別区政府はすでに「都市閉鎖宣言」を出し、流入人口の抑制をはかったものの、人口増加は留まらなかった。

このことだけが、スラム街が生まれる原因ではないが、経済格差が生まれだした発端である。まるで二つの民族が暮らしているような錯覚に陥るくらい財産によって差のある暮らし。この問題は大きすぎて、今の私にはまず何をどうすればいいのかわからない。だけど、はっきりと見える「不平等」をほっておくわけにはいかない。

まず、私にできることは知識を増やすことだと思う。そして、自分がいかにぬるま湯に浸かっているかを踏まえ、常に自分以外の誰かの立場からものをみることが大切だ。

インドネシアに滞在し、裕福層と貧困層の共存、相互作用を体当たりにして、平等世界なんて無理なのかもしれないと思うこともあった。だけど、経済的理由で将来の選択肢が狭い世界でやりたいことがやれない人がいる現状は打破しなければならない。お金は必要だ。だけど、お金が全てではない。選択の幅はお金ではなくて努力で広げられるものでなくてはならないと思う。政府は私腹を肥やすためにあるのではなく、その最善の使い道を適切に導き出して欲しい。

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